若手作家たちの登竜門としてクラフトの未来を支えてゆく

5月のさわやかな空気の中、松本市のあがたの森公園で開かれる「まつもとクラフトフェア」は1985年に国内でも先駆けとして始まったクラフトフェアである。

第1回は45組65人だった作家も 回数を重ねるごとに人数が増え、今や応募総数が1400ル八を超えj一大イベントに膨らんだ 若手作家にと7一では登竜門として位置づけられ、ギャラリー経営者やデパートの催事担当者たちの間でも”発掘贔掘の場”として語り継がれる存在となっている。

作品のみならず「松本らしさ」を創造するフェア
フェアの発端は1981年 発起人である蒔田加代さんのあるひと言から始まった 当時英国でウィンザーチェアを学んでいた木工作家の夫、蒔田卓坪さんからの手紙で「英国クラフトフェア」の存在を知った蒔田さんが「松本でもできるんじゃないかしら?」とつぶやいたひと言だった。夫をはじめ周囲から大反対を受ける中 2人の心強い賛同者を得た。「点と点がつながって三角形になると 物事は強力に前に進むのよね」と控えめに語る蒔田
さん。
それから有志が月2回ほどの会合で会費を集めて資金を貯め 4年後には1回日の開催にこぎつけた。現在、松本クラフト推進協会代表理時の伊藤博敏さんは当時 制作の拠点を東京から故郷の松本に移したばかりだったが「屋外の展示が気持ち良くてね。のんびりした雰囲気がとても良かったですよ。当時は作家同士の交流の場という感じでした」と懐かしむ。「楽しかったからまた来年もやろうことの思いが続き 噂は口コミで広がり、「10回を数えるころには参加が300組を超えていた。それと同時に「フリーマーケットのようになっていた」ともいう。
現在のように事前選考をするようになったのはそれからである「技術やレベルの高さや受賞歴ではなく”鮮度”を大切にするために」と蒔田さん選考委員には 消費者の目を代表するようにと一般巾民が含まれている。 「結果的に”イキのいい人”が揃いますね」と伊藤さんが語るように、意図せずとも作家としての登竜門となるわけである。

 

「工芸の五月」のような支流のイベントに期待
4年前からは公園内のフェアにとどまらず、「工芸の五月」として、松本市内のギャラリーや博物館、美術館をはじめ県内の店舗やギャラリーなどが協賛してクラフト作家たちの作品を紹介するイベントとして広がりを見せている。蒔田さんは、スコットランドで開催される世界最大の芸術祭エジンバラフェスティバルの時に町なかで行われる小さなイベント「フェステイバルーフリンジ」を例に挙げて「いつかクラフトフェアにも、フリンジ゜の部分が増えて欲しいと思っていたのですが、そうなってきたことをうれしく思います」と話す伊藤さんも「当初はヒッピーの集まりかと思われていたイベントも、今では町内会の人が協力してくれるまでになりました。職も年齢も異なる人々によって良い化学反応が起こって、また翌年につながり、やりたいことのためにモノを作るようになる それが松本らしい町のや気やにおいにつながるのではないでしょうか」。
やりたいことを、やりたい人がやる、景気に左右されることなく右肩上がりの集客を続けるクラフトフェアには、そんな当初からの素直な思いが続いているのだろう。